100年刃物企業の歴史
鎌倉・室町時代から現代に至るまで
鎌倉~室町
当社の原点は、鎌倉時代から日本刀の歴史をもつ日本最大の刃物の街、関市です。
関鍛冶の祖と言われる六郎左衛門尉「元重」が、鎌倉時代に九州から美濃に移り住み、良質な土、水、炭に恵まれた関で日本刀作りを始めたのが関鍛冶の起源です。
室町時代には、関鍛冶は大変に繁栄し、関鍛冶七流派と呼ばれる関鍛冶が生まれました。創業者である久保泉は、関鍛冶七流派の1つである藤原奈良太郎兼景の18代目に当たります。その縁もあり、久保泉は刀鍛冶の始祖を崇めるために、大正4年(1915)11月13日に建碑された「元重翁之碑」事業に尽力しました。
明治時代
創業者久保泉の父である、久保祐之(藤原奈良太郎兼景17代目)が公共的試験工場として刃物の製作を始めました。
久保祐之はナイフ工場を経営する一方、ナイフ、短刀、鋏等の打刃物卸商を営んでいました。
当時の家号は「兼景」を使用していました。
1919(大正8年)~
当社の創業者である、久保泉が個人経営にて久保泉工廠創業しました。
久保祐之商店と同様、ナイフ、短刀、鋏等を製作しておりましたが、1922(大正11年)に特許エドランド缶切りを製作し始めました。当時は、世界最優良品と言われ、日本缶詰協会の斡旋で、陸海軍、大工場、学校、缶詰業者に広まりました。
1932(昭和7年)に鋳物鋏の製作を開始しました。
当時、鋳物鋏を製作する会社は国内に数社しかなく、多くは下級品でした。久保泉工廠も下級品からスタートしましたが、順次改良を重ね、世界一の品質と言われたドイツの製品に対抗できるような高級品の製作に専念しました。
1944(昭和19年)3月~
個人経営の会社から法人に改め、資本金128千円で「有限会社 久保鋳造所」 を創立しました。
現在、当社では鋳物の製作技術はありませんが、毎年11月8日には鍛冶屋祭り(鍛冶屋や鋳物師が商売繁盛、安全祈願を祈る祭り)を実施しています。
1967年(昭和42年)~現在
「有限会社 エドランド工業」(1967)
この頃から、測定機械である「ノギス」の製作をきっかけにして、プレス金型や研削機械の精密化への道を歩み始めました。
精密化への取組が評価され、薄刃小型機械刃物の製造に着手し、現在では、社内一貫生産体制で薄刃小型刃物を製造しています。
現在の場所である下有知に移転(1968)
今では当社の周辺は住宅街ですが、当時は周り一面が田畑に覆われていました。
英国メタルボックス社と技術提携し「トッパー缶切」の製作を始める(1970)
当社では、工業用機械刃物だけでなく、栓抜き、缶切り、ピーラーなどの家庭用厨房品も一部製作しております。
環境経営システム 「エコアクション 21」 認証・登録 活動を始める(2007)
「地球にやさしい物づくり・物にやさしい人づくり」のできる会社を目指しています。
現在の社名である「株式会社 エドランド工業」(2019)
創業100年、元号が変わる年に、株式会社エドランド工業に商号変更しました。
現在は、当ホームページ屋号の由来でもある「末永く、楽に」をモットーに「技術」向上に努め、多くのお客様からいただいた「信頼」の証である、関の100年刃物企業として、エドランド工業はこれからもさらなる「挑戦」を続けます。