・備忘録
現存する資料を基にした刀鍛冶の日常を解き明かした本。
特に、春日神社など関鍛冶に関する話題も豊富。
P161
刀鍛冶の宗教的行事
フイゴ初め・・・初フイゴともいう。
刀鍛冶だけでなく、フイゴをつかうすべての職人の細工始めである。
各家によって日は違うが、二日が多かった。
仕事もまねごとだけで、一五センチから二〇センチ足らずの刀の模型を作った。
そしてそれを鍛冶場に祭ってある金山神に奉納して、行事は終りになった。
弟子たちもその日は、「初フイゴ炭割る役に廻りけり」(南国子)
といった程度でお休みになったものである。
フイゴ祭り・・・フイゴをつかう職人が年中行事にしていた祭りで、
俗に江戸では火焚(ほたき、ほたけ)、京都では御火焼(おひやき)と呼んでいた。
一一月八日に行われるのが通常。
その起源については、稲荷の祭神が天上より垂迹のさい、
フイゴを携えてきた、という神話はさておき、
小鍛冶宗近が稲荷山から焼刃土を採って、名刀をやいていたので、
それにあやかるため稲荷明神を祭るという説と、
宗近が鍛錬に用いた石盤が知恩院の山門の下にあるところから、
初め知恩院の鎮守である賀茂明神を祭っていたが、
知恩院三九世満霊和尚のときから、稲荷・八幡の二神も加えることにした。
ところが後世になると、稲荷明神だけと勘違いしてしまったという説がある。
しかし古くから火焚(ほたき)といって、一一月に陽気を迎えるため、
火をたくお祭りが各神社で行われていた。
鍛冶職もそれにならって、各家で祭るようになったものであろう。
八日の未明に、町内の子供たちが鍛冶屋の前に集まり、「鍛冶屋の貧乏貧乏」
とはやし立てた。すると、鍛冶は、「早朝からうるさいやつらだ」とこぼしながら、
二階から蜜柑や餅をまくのが、習わしになっていた。
つぎに、鍛冶場では、フイゴに注連縄をはり、灯明・蜜柑・餅・神酒などのお供物をした。
そして神官をよんで、おはらいをしてもらった。
それがすむと、フイゴに供えた蜜柑は風邪の薬になる、というので、
親類近辺の子供のいる家には配って回った。
かつては刀の町、今は刃物の町となっている岐阜県関市では、
現在でもお火焚きといって、毎年一一月八日、市をあげての行事として行なわれている。
関の刀祖・元重の碑は、兼常の菩提寺である千手院の門前にある。
大正四年に建てたもので、「関鍛冶始祖 元重翁之碑」、と土方久元伯爵が書いている。
その碑のまえで神式によって営まれる。
薪を高く積みあげて、それに点火する、という古式豊かな行事である。
天目一箇神(あめのまひとつのかみ)・・・
この神はふだんから鍛冶場の神棚に祭られているもので、
ご神体は小さな剣や鉾に木製の台を付けたものが多い。
この神については、『古語拾遺』に天照大神が天岩戸に隠れたとき、
「天ノ目一箇ノ神ヲシテ、雑(くさぐさ)ノ刀・斧及び鉄鐸(さなぎ)ヲ作ラシ」めた、
とあるし、『日本書紀』には天孫降臨の直前、高皇産霊尊(たかみむすびのかみ)が、
天目一箇神に命じて作金者(かなたくみ)、つまりカジをやらせた、と見えている。
いずれも高天ケ原時代のことである。これらの神話に従えば当然、
時代的にみて天目一箇神が刀鍛冶の祖ということになる。
P169
歌舞伎の”新薄雪物語”では、湯加減を盗もうとしたわが子・団九郎の腕を斬りおとすほど、
厳格な正宗も、娘と恋仲になっている国俊には、風呂の加減にかこつけて、
湯加減を教えるほど、甘ったるい父親になっている。
P244
日本刀を”美術刀剣”などと呼んで、ただ眺めて楽しむ骨董品と感違いしている今日と違って、
昔は「刀剣は変に臨んで、身命決断の重器なり」(『刀剣弁疑』)、
と日本刀剣史上に”新々刀”という新時代を拓いた水心子正秀が喝破しているように、
武士の生命のかかった重器であった。したがってそれを造る刀鍛冶も真剣であった。
幕末の名人・山浦清麿が、「刀は勇士の命を委任候もの故、下手乍ら其心して鍛候」
と述べているのも、刀の使命の重大性をよく認識していたからで、
その心構えがあったからこそ、不世出のめいじになれたのである。
P246
「私が師匠に弟子入りして、最初に言われた言葉は、
刀鍛冶は貧乏だ。カネが欲しかったら、商人になれ」
現在、東京における刀匠界の長老・酒井一貫斎繁政(旧名繁正)氏が十六歳で、
従兄弟にあたる笠間一貫斎?継に入門したとき、最初にこう宣言されたそうである。
つまり貧乏神宗の信者にならねば、刀鍛冶は勤まらないというわけで、
これは刀鍛冶の生活を古今にわたって貫く原則のようである。
こうした不遇な生活に甘んじながら、「身命決断の重器」を造るんだ、
という誇りに燃えて、昔から刀匠たちは精進してきた。
その毅然たる態度は、火焔中に座する不動明王をみる思いがする。
幕末の刀工・南海太郎朝尊は”造刀心気之法”、つまり刀を造るときの心構えとして、
われは神なり、天地なりと観じ、また不動明王のように心は八方に働かしながら、
物事に動じないような境地に住しなければならぬと説いている。
・前文
”刀鍛冶”といえば、何となく神秘的な響きを感じる。
事実、刀鍛冶には普通の鍛冶に見られない特異点が幾つかあった。
仕事が高度の技術を要するので、いきおい秘密が多くなったり、
精神的要素が強調されたりして、とかく神秘ないし超人的な
イメージを世人に与えていた。したがって刀鍛冶の生活は、一般人にとって興味ある話題であるが、
今日までこれについて論述した人がなかった。
そこで本書では、まず職人史の立場から刀鍛冶の社会を眺めたのち、
刀鍛冶に与えらてた称号、あるいは経済・宗教・恋愛などの面からみた
刀鍛冶について述べ、最後に、刀を作った天皇・皇族・大名など、
世人が意外とするような史実を紹介することにした。
こうしてない様に変化をもたせるとともに、貴重な古文書を数多く挿入して、
本書の資料的価値を高めることにした。
この点は、口絵に掲げた刀鍛冶の写真などとともに、
大いに読者の関心をそそるものではないか、と思う。
なお本書を、雄山閣から続刊されている”生活シリーズ”の一冊に
加えていただいたことは、著者の喜びとするところで、
厚くお礼を申し上げたい。
明治百年の秋
・目次
1.刀鍛冶の職人史
1-1.刀鍛冶の座
1-1-1.駿府の鍛冶座
1-1-2.社寺の鍛冶座
1-1-3.備前の鍛冶座
1-1-4.美濃の鍛冶座
1-1-5.春日神社の座席事件
1-1-6.座に対する独占禁止政策
1-2.仲間組織の登場
1-2-1.関鍛冶の内容
1-2-2.関鍛冶の苦境と転業
1-2-3.裁判沙汰起る
1-2-4.木炭の値上げ
2.刀鍛冶の法規
2-1.鍛冶の取締まり体制
2-1-1.刀鍛冶統制法について
2-1-2.上からの政策的なもの
2-1-3.下からの自治的なものとして伊賀守と高井家
2-1-4.徳川家康と伊賀守金道
2-1-5.伊賀守の特権
2-1-6.広告に使った由緒書
2-1-7.日本鍛冶宗匠の実情
2-1-8.高井家による統制
2-2.徒弟制度
2-2-1.刀鍛冶弟子の三種
2-2-2.入門の起請文
2-2-3.徒弟制度の内容
3.刀鍛冶の経済
3-1.お抱え鍛冶の禄高
3-1-1.お抱鍛冶の実態
3-1-2.信玄と刀鍛冶
3-1-3.綱広の系図と文書
3-1-4.尾張関の刀鍛冶
3-1-5.島津家と刀鍛冶
3-1-6.徳川一門と刀鍛冶
3-1-7.薩摩藩・肥後藩などのお抱え鍛冶
3-1-8.水心子正秀も足軽並みの扶持
3-2.自由鍛冶の収入
3-2-1.大量生産の自由鍛冶
3-3.自由鍛冶の懐具合
3-3-1.非人清光の称
3-3-2.江戸でも貧乏にあえいだ刀鍛冶
3-4.刀の値段
3-4-1.輸出刀の価格
3-4-2.江戸時代の価格
3-4-3.資料に現われた幕末の価格
3-4-4.明治初年の価格
3-5.材料費
3-5-1.地金の価格
4.刀鍛冶の称号
4-1.称号の起源
4-1-1.官名の起り
4-1-2.借位と恩賞
4-2.称号の種類
4-2-1.官名と刀銘
4-2-2.室町期の刀銘
4-2-3.江戸期の刀銘
4-2-4.異例の優遇
4-2-5.受領のはじめ
4-2-6.戦国時代の受領と国名
4-2-7.刀工の叙位
4-2-8.僧位の刀工
4-2-9.検校を名乗る刀工
4-2-10.菊紋をきった刀銘
4-2-11.雷除けの迷信
5.刀鍛冶と宗教
5-1.刀鍛冶と仏教
5-1-1.千手院鍛冶
5-1-2.当麻鍛冶
5-1-3.鞍馬関の一派
5-1-4.石堂派
5-1-5.薬王寺の鍛冶
5-1-6.法城寺一派
5-1-7.法華一乗鍛冶
5-1-8.筑紫了戒一派
5-1-9.妖刀村正
5-1-10.二王の流派
5-1-11.月山鍛冶
5-1-12.彦山の定秀
5-1-13.法師鍛冶の人々
5-1-14.在家で法名を名乗った人々
5-1-15.不動明王の彫物
5-1-16.クリカラ彫刻
5-1-17.素剣
5-1-18.愛染明王
5-1-19.如来と菩薩の像
5-1-20.仏像いろいろ
5-1-21.その他の彫物
5-1-22.刀身の漢字
5-1-23.刀身の梵字
5-2.神道と刀鍛冶
5-2-1.神社関係の刀鍛冶
5-3.刀鍛冶の宗教的行事
5-3-1.フイゴ祭り
5-3-2.片目の神と鍛冶との関係
6.刀鍛冶の恋愛と結婚
6-1.恋の種々相
6-1-1.恋の勝利者たち
6-1-2.秘伝ほしさの打算的恋
6-1-3.恋の逃避行
6-1-4.情熱家四谷正宗
6-2.刀鍛冶の結婚
6-2-1.新郎新婦の誓約書
6-2-2.よろめき妻を成敗
6-2-3.宝刀誕生
6-2-4.偶話的伝説
7.刀鍛冶の貴族
7-1.後鳥羽上皇
7-2.伏見宮貞到親王
7-3.有栖川宮威仁親王
7-4.千種有功・有文
7-5.赤松政則
7-6.伊達綱宗
7-7.松平頼貞
7-8.酒井忠恭・忠以
7-9.井伊直中
7-10.秋元永朝
7-11.酒井忠徳
7-12.松浦静山
7-13.松平斉典
7-14.徳川斉昭・慶篤
7-15.島津忠義
8.刀作りの日日
8-1.刀鍛冶の心構え
8-2.刀の所要日数
8-3.材料選びの第一日
8-4.玉鋼つぶしの第二日
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